2005年07月23日
Prologue::
尾道に暮らしたいなと思い始めたのは、去年の春だった。当時住んでいた福山の家、今現在も父母と祖母が暮らしているが、その住まいから尾道までの距離は約30キロ程度である。福山のバイパスから、尾道市街に向かう長江通りへ降りると、目の前に急に古い街並みが飛び込んでくる。昔から変わらないであろうその景色を、暮らしたこともないのに懐かしく感じていた。たった30キロしか離れていない隣町は、わたしにとって興味深い異空間で、不思議な引力を持っていた。その頃、尾道市内で写真展を開催していたこともあり、時間があればカメラを持ってあちこちを歩いた。最初は、カメラを構えてもどれを撮ろうか迷うくらい色々なものが迫ってきて、あまりの濃厚さに気分が悪くなることもしばしばだった。けれど次第に、少しずつ身体に染みこんでくるような感覚になって、もっと近づきたい想いが日ごとに増していった。
そうしているうちに、尾道には「空家バンク」という制度があることを知った。尾道市役所の観光文化課を訪ねて、登録してある空家を教えてもらった。千光寺山南斜面(通称・山手)には数十件の空家があって、移住してきた人が何人もいた。山手に住む人に話を聞くと、空家バンクに登録されていない家の方がはるかに多いということだった。そしてそこに住む人の多くが、観光課や不動産の仲介ではなく、独自ルートで見つけた物件だった。つまり、家を見つけるには地元住民との繋がりが不可欠だということである。
そこでわたしは、町内会長を紹介してもらったり、尾道住民に出会う毎に、空家を聞いてまわった。空家のある地域にわざわざ案内してくれたり、他の人にも聞いてくれる人もいた。家探しの時点で既に、尾道の人は驚くくらい親切だった。
家探しをひたすらアピールし続けて半年が経つ頃、ついに家が見つかった。春先に引っ越す人がいるので、その後に入居してみてはどうかと友人が紹介してくれたのだ。山手の古民家ではなく、千光寺ロープウエイ乗り場・山麓駅近くの一軒家だ。(後に3ヶ月かけて駐車場も見つけることが出来た。)こうして今年の3月から、わたしの尾道暮らしが始まることになったのである。
春からの尾道移住が決まり、何か尾道に関わることが出来たらいいなと思っていた頃、2005ミス尾道の募集を知った。尾道をもっと良く知る良いチャンスだと意気込んで応募し、現在に至る。
フォトグラファーとしてわたしを知る中で「何故ミス尾道?」と首を傾げる人もいるし、実際わたしも28歳にしてオープンカーでパレードなんて申し訳ない感じもしたけれど、尾道観光協会の方から今回の企画を受けて、わたしのふたつの役割が繋がったような気がして嬉しかった。
伝えていくことがわたしの仕事なら、思う存分やり遂げたい。どんな場所にいても、その想いを伝えて心を動かすこと。それがわたしらしくて、自然で、一番気持ちよい生き方なのだ。尾道はそういう自然が許される街だと思う。だからわたしは辿り着いてしまった。引き寄せられてしまった。
わたしの夢のひとつに、尾道の写真を海外で発表する、というのがある。尾道の写真が、違う国でどんな言葉を話すのかを見たいと思うし、美しい尾道情景を(美の観点はそれぞれだけど)残せていけたらいいと思う。
尾道に来て一番最初に読んだ本が、林芙美子さんの「放浪記」だった。時代背景も環境もまるで違うけれど、何故かしら親近感の湧く作品だと思う。放浪というか、わたしの言葉に置き換えるなら「空中散歩」である。2本の足でぶらぶら歩きながら、様々な想いが駆けめぐる。尾道の街に漂う古くからの歴史を、掴むように刻んでいく。まさに宙を掴むような話である。移動距離は少ないにしろ、写真で放浪してることに変わりない。尾道を歩いていると必ず猫に会う。わたしも猫のようなものだな、と思う。
投稿者 NORi : 21:04