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2006年10月01日
灯りまつり
お寺の参道や境内に灯りをともし、
かつて北前船が目印とした
常夜灯の雰囲気を醸し出す「灯りまつり」
ついに始まりました。
浄土寺へ向かうと、すでにたくさんの人集り。
光に導かれるように歩く道々は、
秋の夜長を贅沢に彩っていました。
見上げれば、半分の月。
ささやかな半月も、
今夜は眩しく見えます。
天寧寺。
山陽本線のガード下を、
ともしびとともにくぐる。
終了時間の21時まで、
人の波は途絶えることなく、
ふだんはひっそりとした尾道の夜が
賑やかに過ぎていきました。
ただひとつ、残念なのは
こんなにも美しい夜なのに
この天寧寺で撮影をしていたら
背後でカメラを構えた方に
「撮ったんならどけよ」と罵倒されたことでした。
この日、撮影ポジションの奪い合いや、
まつりを楽しむ方を排除させる行動が
目立ったのはたしかです。
写真を撮る熱意は素晴らしいけれど、
撮影の為のまつりではないですよね。
何のための写真なのでしょう?
目の前にある時間は、いつ味わうんでしょう?
たくさんの方が、
尾道を訪れてくださるのは
本当に嬉しいことだけれど、
みんなで分かち合う、ということが
もう少しできたらもっと楽しいと思います。
写真も一瞬ですが、
出会いも、一期一会なんですから。
投稿者 NORi : 2006年10月01日 13:05
コメント
いつも楽しく拝見しています。
写真の件ですが私が見たのは西国寺の狭い階段の所で足の悪いおばあちゃんが上がってきました。上には三脚をどさっと据えたおじさん。おばあちゃんの足が三脚に当たると舌打ちをする始末。おばあちゃんが謝るとさらに”写真を撮ってるんだ気をつけろよ”だって。
長時間露光するのもわかるけどもう少し考えたらと思います。それを注意出来ない自分も悲しいです。
投稿者 ちきちき : 2006年10月02日 10:34
注意するのは勇気のいることですね。
わたしも、そこまではなかなか言えません。
お花見の時も思うことですが、
三脚かまえた人が目の前に大勢並んでいたら、
せっかくの景色も、
足早に通り過ぎるしかありません。
写真を撮る方に言いたいのは、
「すみません」と通り過ぎてくれる人には
せめて「ありがとう」と言えるくらいの
ゆとりを持って撮影に挑んでほしいです。
そして、写真を撮る前に
自分の目で見て、肌で感じて、
すれ違う人と会話をして、
尾道の空気をたくさん吸って
楽しんでもらいたい。
「写真撮ってるんだから気を付けろ」と
言えてしまう人の写真は、
そういうピリピリとした空気しか、
表現できないと思うのです。
それに、競い合うのって、限界がなくて
疲れますね。
「楽し過ぎて、撮れなかったよ」と
言えるくらいの人の写真の方が
わたしは好きです。
そういう輪を広げていきたいです。
投稿者 NORi : 2006年10月02日 11:05
在京時はフリーカメラマンとしてやっていた自分ですが若い頃はこんなだったかな?とNORiさんの文章を見ながら遠い過去を振り返っています。
人よりいい写真が撮りたい気持ちも十分わかりますが、周りに嫌な思いをさせてまで撮った作品はいい結果は出るわけ無い。
周りに気遣うほどいい作品で出来ると思いますが…
私はこの話題、ここで打止め!!
NORiさんの個展楽しみにしていますよ
投稿者 ちきちき : 2006年10月02日 16:06
わたしも、自分自身に問いながら考えさせられました。
配慮をしているつもりでも、
迷惑だったこともあるのかなあと。
カメラマンである前に、
ひとりの人間として、どういう行動をとるべきか
今後も気を付けながらやっていきたいと思います。
個展は準備まっさい中で、
ホントにギリギリまでやれるだけやろうと思っていて、
期待あり、不安あり、
未熟ではあるんだけれど、
そんな今の自分をまるごとぶつけて、
そして、また次へと繋がっていけたらと思います。
どうもありがとうございます。
がんばりまーす
投稿者 NORi : 2006年10月02日 20:32
こんちわ。
キレイなお祭りですね。
しかしマナーの悪い人間がいるものですね。
そんな人間には猛省させる意味でキッパリ言うべきです。
僕なら100%やっちゃうけど、もちろんいまどきはいろいろあるから淑女なら無理しない方がいいかも知れませんね。
マナーの知らない無礼な人間はPHOTO-LIFE-PHOTOな人間なんです。
LIFEーPHOTOーLIFEという大切な概念やスタンスを知らないんです。
写真の中に人生があるんじゃなく、人生の中に写真があるんです。
プロにもそういうこともまったく知らない人はほんとに多いです。
写真は人生の間にはさまれてこそ活きるはずです。
写真を活かすもどうするもその人の人生ぶりでしかないんです。
NORiさんが言うように無礼な人間の写真にはそういうものしか写らないでしょうね。
写したなら写した人間はその写真の家族であり親です。
なぜなら写した瞬間すべてがオリジナルだからです。
同じものはどこにもないんです。
だから大切に育ててやる責任があります。
尾道の海香に浮かぶ灯火もいつか見たいものです。
normalのモード撮影に尾道ロケしたいものです(笑)
投稿者 ☆Y☆ : 2006年10月02日 20:48
こんにちは、
悲しいことにカメラマンは今も昔もどこへ行ってもそんな感じかもしれません。
京都へ行けばカメラマンは敵かと言わんばかりに「三脚禁止」の立て札が立ってますからね。
結局は、過去に観光客とのトラブルやカメラマンの身勝手な行動が招いた結果です。
いっそのことイベント期間中は三脚禁止にすればいいのに。
って書くと自らの首を絞めることになるかな?(笑)
写真は撮っているのではなく撮らせてもらっている。
そう思いながら僕はシャッターを切ってます。
投稿者 goodtime : 2006年10月03日 09:50
わたしも灯りまつりを写しに行きました。
三脚カメラマンのひとりです。
いい写真が撮りたいとは思いますが、人を押しのけてまで撮ろうとは思いません。周囲を見て自分なりに気を遣いながら撮ったつもりではありますが、三脚を立てているだけで邪魔をしたり威圧感があったりするものなのですね。
実際、わたしも昨年「どけろ!」と言われたことがあり、嫌な思いをしました。自分の写真を撮りたいあまり周囲の人に嫌な思いをさせる人がいるのも事実です。
そういうことが頻発すると、三脚禁止とか写真はご遠慮ください、とかにもなりかねません。同じ写真を愛するものとして、せめてみんなが気持ちよく過ごせるようにしようよ、写真よりまず味わおうよ、と言いたいです。
投稿者 celeste : 2006年10月04日 06:47
LIFEーPHOTOーLIFE
わたしもそう思います。
写真を撮る行為よりも、大切なのは
今、この瞬間に何を感じて生きているかどうかだと。
楽しい時間が目の前にあるから、写真を撮りたくなる。
そういうものであってほしいと思います。
「写真」って、色んなものと繋がるツールだと思うんですよね。
それは時間だったり、人間関係だったり、
自然だったり、宇宙だったり。
そしてその時感じた、ありたけ思いを
誰かと共有できることで、より豊かなものになって
喜びも思い出もふくらんでいくものだと。
規則として「三脚禁止」と作ってしまえば容易いことですが、
出来ることなら、そういう制限が発生する前に、
ひとりひとりが心がけていけたらいいと
わたしも、そう思います。
しかし…
足が5本になるから固まるんですよね。
いっそ、展望台にある望遠鏡みたいに、
「撮影用三脚・3分○円」と設置して
あらかじめポジションを決めておくとか。
あるいは、
スタッフとして参加して、
あかりを設置しないと撮影許可が下りないとか。
(そうすることで愛着がわく)
なんらかのコミュニケーションがあれば
解決する問題のような気もします。
撮影だけして、帰るなんてもったいないと思うですよねえ。
投稿者 NORi : 2006年10月04日 16:22
はじめまして。尾道在住のものです。
地元ながらまだ1度も灯りまつりを見たことがなく、
今年こそは最終日に行って写真も撮りたいと思って
いたのですが・・・。
まだまだ写真は下手で、特に夜景はうまくいくまで
撮り直したり時間がかかってしまうので、もたもた
していたら私も怒られるかも、と思うとちょっと
行くことに対するテンション下がっちゃいました。
(デジカメ撮影で三脚は使用しませんが)
撮影抜きで見に行けばいいのかもしれませんが、
今は撮ることが楽しくて仕方ないので見るだけでは
ストレスたまりそう。
写真のためのまつりではないのは重々承知ですが、
この思い出を自分の視点で残しておきたいのも事実。
もう2度と見られないかもしれないし・・・。
投稿者 尾道っ子 : 2006年10月06日 14:23
はじめまして。celesteさんのブログに紹介されていたのでお伺いさせて頂きました。どの季節も何処でも我侭なカメラマンって居るんですね。自分を何様だと思っているのでしょうか。カメラを持っているだけで、見物客より偉い? 本当に困ったものです。
投稿者 KB : 2006年10月06日 20:21
悲しい話を目にしてしまいました…
尾道には、そのような話は似合いません…
私は鉄道を中心として写真を撮りますが、
相手は一瞬に通り過ぎる被写体なので、
イベント時には、それはもうなんともいえない空気が
ホームや線路端に張り詰めています。
怒号はもう当たり前で、それ以上の行為も度々あり、
よく警察沙汰にならないな、と常日頃思いながら
撮影していました。
誰も、撮影を楽しむような余裕はなく、
一瞬さえも逃さぬよう、列車の通過時は、
ファインダーしか見ていません。
結果、肉眼で肝心な列車を見る楽しみなどどこにもなく、
まわりの「同好の士」を牽制しながら撮影した結果と、
どんよりした疲労感だけが残ります。
ごく普通の乗客はみな、写真撮影を邪魔する
非常識な人ととらえ、
鉄道員は「職権を乱用して」、撮影者を排除する
忌み嫌うべきものとしてとらえられます。
※安全を確保するためであり、乱用ではないはずですが…
それらの「マニア」と呼ばれる人に、
どんな理性があるというのでしょう。
鉄道マニアには、特にこの感を強くします。
私は最近、鉄道を撮ることが少なくなりました。
もう、嫌気がさしたのです。
鉄道は嫌いではありませんが、
イベント列車の撮影に参加するのはもうたくさんです。
脱線しましたが、どうしてカメラマンに、
こういう人が多いのでしょう?
そうでない人が多いのももちろんわかってますが、
他の趣味と比べると、やはり多いように思います。
尾道の穏やかな祭りが、
そういう人物に荒らされることがないよう、
祈るばかりです。
投稿者 光る川…朝 : 2006年10月07日 20:44
熱心になるあまり、
まわりが見えなくなることって
世の中にたくさんあるんだろうと思います。
たしかに、
写真でしか残せないことってありますね。
デジタルが普及して、
断然、写真が身近になった今、
より多くの人に撮影を楽しんでほしいなあと思ってます。
人の数だけ、色々あるでしょうけれど、
それだけ関わりが増えて
新たな繋がりの出来る、
いい機会になればと願ってます!
投稿者 NORi : 2006年10月10日 17:47