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白滝山 (しらたきやま)
(因島) 標高226.9m、因島を代表するビュースポットです。参道や山頂付近に点在する五百羅漢(実際は700体程度)の石仏は、1830年に一観教の創始者・柏原伝六とその弟子たちが3年余りの年月をかけ作ったものです。春は桜、秋は紅葉を楽しむことができるほか、夕日のスポットとしても知られ、黄金に輝く瀬戸内海の景色を堪能できます。境内には因島八十八ヶ所霊場の第85番札所「八栗寺」があります。新尾道駅観光案内所 (しんおのみちえきかんこうあんないしょ)
(市街地) 新幹線の新尾道駅構内に設置している観光案内所。英語ができるスタッフが尾道の観光はもとより、近隣エリアの観光案内も行っています。案内所内は待合スペースになっているので、新幹線の待ち時間にゆったりとおくつろぎください。これから尾道を旅したい方、尾道から次の町の観光へ行かれる方、有意義にご活用ください。信行寺〔浄土宗〕 (しんぎょうじ)
(市街地) 建保2年(1214)、浄土宗第二祖の聖光が開いた寺で本尊は阿弥陀如来です。元は向島に草庵を結んで住み始めたのがはじめと言われています。正面石段の左側には「尾道志稿」の著者である油屋・亀山士綱の墓があり、右側には幕末維新のころ、尾道〜大阪間の船使を開いた回船問屋 竹内要助一門の墓があります。慈観寺〔時宗〕 (じかんじ)
(市街地) 貞治元年(1362)慈観上人の開基と言われています。4月末頃、庭には一面に牡丹が咲き“ぼたん寺”として親しまれています。また境内の片隅には「夫婦松」と呼ばれる松を見ることができます。これは2本の松が自然に絡まって成長した珍しいものです。持善院〔真言宗〕 (じぜんいん)
(市街地) 西國寺再興の傑僧・慶鑁(けいばん)の開基と伝えられています。再三の土砂災害に遭いましたが、そのたびに檀家や旦那衆などの協力により再建されました。お正月に配られる「干支の飾紙」は評判が高く、外国にまで送られるとか。地蔵院〔曹洞宗〕 (じぞういん)
(因島) 因島八十八ヶ所の第24番札所「最御崎寺」があります。またお寺の墓地には江戸時代に碁聖として活躍した本因坊秀策の墓があり、囲碁ファンのお参りが途絶えません。地蔵鼻 (じぞうはな)
(因島) この鼻の地蔵さんに祈願し、娘の思いがこめられた小石を持ち帰ると恋が成就すると言われ、命日とされる毎月旧暦の24日には多くの若い女性が訪れます。また子授け、安産など女性の願い事がかなうといわれています。祈願がかなうと石地蔵を作り、お礼参りをする習慣があります。《由来は「詳しく」を参照下さい》成願寺〔曹洞宗〕 (じょうがんじ)
(因島) 文安の時代、宮地大炊助明光が因島庄山方に開創した仏通寺は臨在禅寺であったと伝えられており、天正10(1582)年に現在の場所に中興されました。また元禄5(1692)年に曹洞宗に改宗しました。お寺には室町期の毘沙門天の小像と桃山期の重井毘沙門堂本尊の木像が祭られていて、法楽踊の古いのぼりが遺されています。春はサクラで有名です。境内には因島八十八ヶ所霊場第12番札所「焼山寺」があります。常称寺〔時宗〕 (じょうしょうじ)
(市街地) 延慶2年(1309)、時宗第2世の他阿真教が諸国巡錫中、尾道にとどまり念仏弘通に勤めている際、霊夢を感じその地に生えていた榧(かや)の大木をもって一堂を建立したので榧堂と言われていたそうです。その後、焼失と再建を重ね、現在では山門と本堂の間に鉄道と国道が走り、山門は民家の中に残されています。また2007年には本堂や山門などが国の重要文化財に指定されました。浄泉寺〔浄土真宗〕 (じょうせんじ)
(市街地) 天文12年(1543)の創建と言われています。浄泉寺のシンボル、大屋根の上には畳16枚くらいの大きさの鬼瓦があります。また、境内にある用水桶は4匹の鬼が担いでいるユーモラスな姿を見ることができます。以前は縁側が広く涼しいため「昼寝寺」として親しまれていたとの逸話もあります。