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おのみち歴史博物館 (おのみちれきしはくぶつかん)

(市街地) レトロな雰囲気を醸し出す『旧銀行建物』が新たに『おのみち歴史博物館』として誕生しました。尾道の歴史が垣間見れる尾道遺跡の遺品や大金庫、平田玉薀女史に関する品々などなど貴重な品々が見られる博物館です。
海徳寺〔時宗〕 (かいとくじ)

(市街地) 開基は弘安10年(1287)時宗の開祖 一遍上人が諸国遊行の途中、尾道に草庵を結んで念仏勧進されたのにはじまると言われています。時宗では尾道地方第一の古道場です。昔は現在の久保3丁目にあり、境内が広く、相撲の興行がよく行われたそうです。
海福寺〔時宗〕 (かいふくじ)

(市街地) 元応年中(1319〜1321)遊行二祖上人の弟子、但阿弥陀仏の開基といわれています。本堂の左手に「三つ首様」と呼ばれる珍しい墓があり、首から上の病を治すといわれ、お参りをする人が絶えません。《『三つ首様伝説』は「詳しく」を参照ください》
海物園跡 (かいぶつえんあと)

(向島) 「海物園」は延宝年間(1673~1680)~元禄年間(1688~1703)にかけ向島の塩田を開発した豪商・天満屋により烏崎一円(現 西富浜地区)に築かれた庭園で、安芸の宮島、向東の賀島(加島)と並び「芸州三名園」として知られていました。当時はこの庭園に多くの文人墨客が往来し、詩文や和歌を多数残しました。現在ではその一部として池や胡子神社が鎮座する浮島などを見ることができます。なお、庭園内に建築された茶室「露滴庵」は文化11(1814)年に浄土寺へ寄進され現存しています。
覚明神社 (かくめいじんじゃ)

(向島) 元暦元年(1184)、信濃源氏の武将である木曽義仲(源義仲)が江州栗津ヶ原で源義経に討たれた際、家臣の大夫坊覚明は義仲の子である義重と家臣30名余りを伴って現在神社がある覚明島(現:向島・川尻地区)に移り住んだと伝えられています。移住後、寺社の再建・土地の開墾・治水灌漑などに尽力した後、家臣らの自立を見届けた覚明と義重は信州へと帰って行きました。この神社はその覚明や、木曽義仲、義重を祀ったものです。
兼吉の丘 (かねよしのおか)

(向島) 尾道の対岸・向島の小高い丘で「兼吉の丘」と呼ばれています。この場所からは尾道の町並みや尾道水道を行き交う渡船、夜景など尾道らしい風景を楽しめます。また春には丘の中腹に咲き誇る桜越しの風景は格別です。丘の頂上部分は大林宣彦監督の新・尾道三部作「あした」のロケ地となっています。
蒲刈小早川氏五輪塔 (かまがりこばやかわしごりんとう)

(因島) 柑きつ畑をしばらく進むとひっそりと石が積まれた場所があります。これは康永3年(1344)~応永年間(1394~1427)までの83年間に渡りこの地を支配した蒲刈小早川氏の墓と言われる五輪塔です。この五輪塔のある一帯は小早川氏の居城、鶴ヶ峰一ノ城の屋敷跡で、城跡は徒歩で10分ほどの山中にあります。五輪塔の横には子孫が建立した「蒲刈小早川先栄城」の碑が建立されています。
亀の首地蔵 (かめのくびじぞう)

(瀬戸田) 生口島と高根(こうね)島との間の瀬戸田水道に建立されているお地蔵さんで、航海の安全を見守っています。名前の由来は、昔この一帯で人を食べていた亀を退治した際、首が海に落ち、亀のような岩になったとの言い伝えによります。潮が引くと地蔵の下に亀の形をした岩が現れます。《亀の首地蔵伝説は「詳しく」参照》
亀森八幡神社 (かめのもりはちまんじんじゃ)

(向島) 宝亀元年(770年)、現在の向島・兼吉地区に山陽道巡察使 藤原百川豊前国宇佐宮の御分霊を勧請したことに由来する神社です。1月14日に開催される「とんど祭」、10月第4金曜日に開催される「オハキ神事」は、尾道市無形民俗文化財に指定されています。境内にある「除虫菊神社」は、除虫菊を日本に紹介し当地で栽培を奨励した大日本除虫菊(株)初代社長・上山英一郎が祀られており、毎年5月8日に例祭が執り行われます。
亀山八幡宮(久保八幡神社) (かめやまはちまんぐう(くぼはちまんじんじゃ))

(市街地) 亀山八幡宮(久保八幡神社)は、貞観年間(859年~877年)の創建と伝えられています。境内には尾道の石工が彫り上げた「軍配灯籠」と呼ばれる軍配が彫られた灯籠や狛犬、そして江戸時代の横綱陣幕久五郎の手形が入った石碑などが点在しています。1月には「とんど祭」、秋には「わんぱく相撲大会」も開催されています。




















